2010年8月23日月曜日

銀窯の銀継ぎ

 鈴木厚氏が陶芸を始めたのは、2004年5月の西荻「青猫」での個展の後だと思う。会場をあとにした西荻の赤ちょうちんで、焼き物の窯を買うと宣言していた。その場にいた彫刻家浅井氏、湯田氏に否定的なことを言われ、かえって発奮したのだろうか。
 このブログのリンクから鈴木氏のホームページをみていただければ分かるのだが、鈴木氏は石、木、粘土、油絵と扱う素材は多岐にわたっていたが、陶芸をはじめるまえは、もっぱら木彫に専念していたと思う。「青猫」での個展は3週にわたる期間で、なにか期する処があったように感じられた。
 おやじのいない世界はハレバレしてていいと、陶芸にドップリつかった最近の心境を語っているが、わかる気もする。鈴木氏と同じに彫刻家を父にもつ私も同時期に作品を写真で発表することを始め、写真関係のギャラリーで展覧会を開きハレバレしていたからだ。
 鈴木氏は、とりわけむずかしい磁器を主に焼いている。そのほとんどをインターネットを通じ独学でマスターしてしまった。と言うと簡単に聞こえるだろうが、磁器といえば、日本においてはその技術をうばうために朝鮮陶工を拉致してきたり、ヨーロッパにおいて初めて磁器を焼くことに成功し、その秘密を守るために一生幽閉されたドレスデンのベットガーなどの話がある。それだけ微妙なカンドコロをもったものなのであろう。鈴木氏の焼く磁器は極薄でそれに精緻な染め付けがなされている。染め付けの迷宮ともいえるものである、伊万里でもなく、中国でもなく、安南でもドレスデンでもない。鈴木氏はデューラーだと言ったが、なるほどデューラーだ、あのビュランで彫った銅版画の線に似ている。

 さて、この茶碗は外側にひまわりの絵が描かれているのだが、私が割ってしまった。そのいきさつは我が家の恥をさらすことになるので言うのを差し控えるが、私が悪いのである。(鈴木氏の前で、そのことでまた兄弟げんかを始めてあきれられた。・・・ということで察しがついてしまいますね。)とにかく鈴木氏に済まない気持ちがいっぱいで、銀継ぎして伝世品のようにしてやろうと思った。
 磁器なので、まず漆を割れ口にぬりトースターで焼きつけた。それから漆で接着。割れ方が単純なので楽だった。はみ出した漆を取る。面相筆で漆をぬり銀粉をまく。浮いた銀粉をとりさり漆をしみこませる。研ぐ。これをくりかえす。面白くなり3回くりかえし太くなってしまった。銅のように赤っぽく見えるのはまだ漆が透けてこないためだろう。

 このぐい吞み2つは日本橋高島屋での展示のとき買った。同じくひまわりの絵である。この染め付けは鈴木氏のものにしては単純な部類にはいる。その展示会では陶製の人形もあった、私はめずらしく他人の彫刻をほしいと思った。(彫刻をやってて、彫刻をほしいヒトの気持ちがわからないのは、私の仕事上の最大の欠点だとおもうのですが。)
 *今回、デス・マス抜きでやってみました。鈴木君の作品買うならいまのうちですよ、値がでてしまうかも。鈴木君、このぐらいでよろしゅうござんすか?