2010年12月4日土曜日

頭像考


 彫刻家どうしの会話で"首"といっているが、世間では頭像です。あるいは,頭像といっても通じないかも知れない。昔、自分の作品を梱包し、抱えて運んでいた彫刻家が職務質問にあい、「持っているものは何だ」の問いに「首だ」と答えた。「ほー、やってくれたな。ちょっと来てもらおうか。」ということになったそうだ。
 頭像とは、かように不安定な存在なのだ。東西を問わず彫像は全身像であり、人体の部品のみを作ることは考えられなかった。興福寺に仏頭があるが、火事で焼け落ちたものであることはご存じと思う。古代エジプトの遺物に石の頭像があるが、これは木などの別の素材で胴体を作って、さらに実際の衣服が着せられてあったと思われる。
イクナトン王(未完成) 前1355年頃 アマルナ黒彩 (講談社・世界の美術館より)
テーイエ女王 前1370年頃 いちい材   (講談社・世界の美術館より)
 頭像の起源を考えると,古代ローマ時代人の骨董趣味にたどりつく、すでに古代ローマでは、ギリシャ時代のものが骨董として扱われていた。ギリシャの彫像が、ステイタスとして屋敷を飾っていたのだ。無論、修復して不足部分を後補したものが多かったのだろうが、そのまま鑑賞した人もいたはずである。倒壊した彫像の上部は頭像であり,下部はトルソであった。、そのうち、供給がおっつかなくなり、古物の贋作が始まる。これが頭像の起源にちがいない。そして、当時の人の肖像もこの様式で作られた。
サッフォ(ローマ時代模作) 前4世紀初め 火山岩 (講談社・世界の美術館より)
 また、古代ローマ時代人は胸像も発明した。彫刻は倒壊しても,胸像のような残り方はしないのであるが、頭像もネックレスのぶら下がる位置で切れているものが多いようだ。ちなみに、彫刻に色を塗らなくなったのも古代ローマ人である。これも、すでに色の落ちたギリシャの大理石像からの発想だ。(日本には、塗らない檀像彫刻が一時的にありますが、これはチョッと違う理由があるとおもいます。リーメン・シュナイダーが彫刻に彩色しないでも良いと気づいたことに、近いと思います。仕事を終えてそこから立ち去ったあとに塗られちゃった場合が多いみたいです。)
 さて、最近は、この頭像の彫刻の1ジャンルとしての位置がいよいよ怪しくなって来ている。彩色のある彫刻がまた増えたことと無関係であるまい。彩色した頭像、これは,我が国のように首狩り族の子孫でなくても、ありえない。頭像=無彩色が条件だと思う。これは先に述べた頭像の由来にも関係ある。
 ここで一つ秋山正治さんの頭像を見ていただきたい。私は修行中に、同じモデルを秋山さんと一緒に作ったことが、どれだけ勉強になったことか。頭像を秋山さんのように作りたいと思った。その後、秋山さんは大病してしまったのだが、仕事は続けてるようだ。手元にある画像が限られてるが、その中からご覧下さい。
秋山正治作 井田君 1982年出品

秋山正治作 ふたみ 1984年出品

秋山正治作 松 1989年出品

 イイでしょ、出来るようでなかなか出来ません。いいのが他にも、もっとあるのですが。田中さんを作ったヤツとか。  
 
 頭像あるいは肖像衰退のもう一つの理由に、人はヒトの顔に興味がなくなってきたのではないか、というか、避けて通っているのではないか。私は自身を肖像彫刻家とおもっているのですが、これはゆゆしき問題です。わたしはヒトの顔ほど面白いものはないとおもってます。荒木経惟 は顔は究極のヌードだといってます。あそこより、よっぽど猥褻だというのなら同感です。写真家のスナップからヒトの顔が消えてしまった。面倒は避けたい気持ちはわかります。世間では肖像権、パブリシティー権、プライバシー、そして著作権までもが混同されている。これについては、私も研究中ですが、写真の次は絵画、彫刻に波及するのではないでしょうか、週刊誌の似顔絵コーナーが消えたら要注意です。そうならないことを願います。美術にたずさわるものは、あるのかないのかもわからない肖像権とたたかっている写真家を支援すべきと思うのですが、どうでしょう。
丹野章著 「撮る自由」本の泉社発行 本体952円