2011年12月13日火曜日

続・冬晴れ早朝

先の土日も冬型の気圧配置で関東は快晴でござんした。
午前中、撮影に出掛けることが出来ました。
行きはタクシーを使い、ラクしました。
ふだん撮影は一人でやってます、このゴンゴロゴロゴロに乗せ、カメラ類はリュックに入れて運んでます。







2011年12月7日水曜日

冬晴れ早朝

横なぐりの光線はレリーフ状の彫刻には、かなり不利ですが、
何とか使えるコマをひろいました。

 



2011年7月13日水曜日

ハッセル・ピントフードをデジタル一眼レフへ

 このような製品はあるようですが、つくってみました。一眼レフの画像モニターは、3.0型です。
 写真はピントフード枠を止めるスライドのレールを作ってるところです。
替え刃鋸の刃の厚みを利用してつくってます。
 ロウ付け加工のことを考え、真チュウを材料にしました。
スライドして挿入させるためのレールをロウ付けしました。
 塗装前の状態です。
この枠をカメラではなく、ベルボンのクイックシューにネジ止めします。
 完成です。
ピントフード保護用のプラスチックのカバーを使えばもっと簡単に作れるかもしれません。
 フィールドルーペを付けてみました。右はそれを覗いた画像です。
 
 さて、私がハッセルなんて高級カメラを持っていることに、疑問をもたれたかと思います。
持ってますとも。
これを言うと「うそだ!」と言われるんですが、
リサイクルショップに複写スタンドつきで3万円で出ていました。店主によると壊れているとのことでした。
その場では買わずに、写真家のGさんに相談しました。「絶対にやめろ!修理代いくらかかるか知ってるのか。」ただ最後に、「ダメ元で買ってもイイか、、、」
 リサイクルショップ店主によると、そのカメラは宝石屋が宝石の鑑定書を作るのに使っていたもので、ハッセル・ブラッド500CM 、80ミリレンズ、接写チューブ×3,蛇腹の接写装置、フィールド・ルーペ、ポラパック、という編成でした。
故障はなく、宝石を撮るためだけに使ったため、ヘリコイドが固着。全体にタバコの煙でベッタリと固着してました。アルコールで拭きつつ、いじってるうちに動き出しました。
ただ、その後、普通のフィルムマガジン、ピントフードを中古の一番安いので捜して、3万5千円ほどかかってしまいました。

2011年6月4日土曜日

労働美淑女としてのR.W.2


三人そろって,卒業です!




チョッと改良しました!

アリバイ帳


 これは私の手帳です。1982年から博文館のこれでやってます。表紙が皮ですのでカビが生えてます。変なにおいがします。
予定を書き込むことはあまりなく、日記というか、行動を書いておきます。アリバイ帳というのがふさわしいです。人はいつなんどきか、冤罪を着せられるか分かりませんからね。この習慣がですね、なんと、パソコンを始めるようになってから終わろうとしてます。
 最初の2冊には、ジャズ喫茶に行って聴いたレコードが書き込んであります。その前はノートを作ってたと思いますが、そのノートは見あたりません。1980年前半といえば東京のジャズ喫茶がそれぞれ閉店にむかった頃です。当時、タバコも吸わずに2時間ぐらいの時間をコーヒー(BLAKEYでは黒すぐり入りの紅茶)だけで、よくもったとおもいます。

 
 チョッと東京のジャズ喫茶について、行っていた店に限って記したいと思います。

新宿
DIG・・・今となっては、どこにあったか分かりません。猫まんまの散乱するコンクリートの非常階段をあがった上にありました。妙に落ち着く処でした。植草甚一さんや殿山泰司さんを、ここで見た気がします。

渋谷
DUET・・・立派な店でした。スピーカーがパラゴンでした。私には音の善し悪しが分かりませんでした。
GENIUS・・・よく行きました。今も中野新橋でやってます。地下一階でした。全面板張りで壁にスピーカーが組み込んでありました。ある日、ポルノショップになっていました。
音楽館・・・百軒店飲食街にありました。木造二階建てで、下がレゲエのBlack Hawkでした。床がギシギシしました。その後ビルとなり、ごく最近までやっていたのですが。。。このあたりでよく、コント赤信号をみかけました。道頓堀劇場に出ていたのでしょう。
SWING・・・百軒店にありましたが、宇田川町の方へ引っ越しました。私が行ったのは引っ越してからです。店の中に猫がいました。レーザーディスクが導入されてました。
BLAKEY・・・百軒店飲食街にありました。よく行きました。ハード・ドライビングと銘打ち、フリージャズがよくかかりました。この店でかかるレコードはワクワクして聞いていました。中はとても暗く、同伴喫茶がわりにアベックがイチャイチャするのを、マスターが追い出してました。この店には黒すぐり入りのロシアンティーがあり、もっぱらそれをチビチビやりました。

吉祥寺
meg・・・今のヨドバシカメラの裏です。今もやってると思いますが、オーディオ・マニアにとっては興味深い店なのでは。
A&M・・・比較的よく行きました。新譜はどんどん入れてたような気がします。ここでI.C.U.の付属の女子高生と待ち合わせて、何かを買った覚えがあります。エエー!めっそうもございません。当時、雑誌の売り買いコーナーなんてありました。それです。警戒して2人で来ました。
Outback・・・手帳に書いてありますが、ぜんぜん覚えがありません。

代々木
NARU・・・よく行きました。代ゼミの美術コースの建物の向かい側の地下でした。大きい店でした。手広く展開してたのでバイトのヒトがやってたとおもいます。閉店日に行ってます。82年の1月20日と書いてあります。
 
高田馬場
INTORO・・・一度一人で酩酊して行ったとき、隣の席のヒトのケーキをジーッと見ていたら、少しくれました。

神保町
コンボ・・・なんと言ったらいいか場所は、水道橋の白山通りに並行したお茶の水よりの1本目の道にありました。ご夫婦でやってたようでした。よく行きました。この店の閉店日にも行ってます。記念に1枚もらいました。グラント・グリーンをもらいました。

四谷
いーぐる・・・オッと忘れるとこでした。今でもやってます。最近はレコード鑑賞会にいきました。


下北沢
マサコ・・・下北沢の駅まえ開発のため、趣があった店はなくなりました。 
 
 上野のITOとかも行ったようです。あと、東京ではないんですが、友人と北海道を旅行したときに、函館で青函連絡船待ちで深夜営業のジャズ喫茶で一泊しました。店の名前は忘れました。すごく大きな店でしたが。
 暇だったというか、なんというか、でも街へ出てこういう居場所があったわけです。ジャズはジャズ喫茶で聴けると思ってたので、自分で買うレコードはソウルやブルースだったようです。早朝で割のいい冷凍庫のアーバイトをしてましたから、中古レコードぐらいは買えました。冷凍庫の仕事は、冬つらいだろう?と聞かれましたが、夏がいやでしたね。外でも作業がありましたから、防寒着のまま汗かいて冷凍庫入るとかぜをひきます。朝、冷凍庫に入ると冬は一日中ポカポカです。
 ジャズ喫茶のマスターとは、店が「私語おことわり」となっていたため、ほとんど話ししたことがありませんでしたから、個人的なことは、まるっきり知りませんでした。BLAKEYやコンボのマスターお元気ですか?

2011年5月4日水曜日

労働美淑女としてのR.W.




ジョンソンさん、あした退院ですね。


よかったね。
もう、ムチャしたらイけんよ!


 *2012/12/18 現像し直しました。

2011年4月28日木曜日

銀窯の角皿を買った!

 時間が空いたので、半蔵門線で九段下へ。
車両のなかで,ファンクラブTシャツ緑のLSG11を着た女性(大学生ぐらい,メガネ美人ちゃん)を見る。
さい先がイイぞ!もうチョッと早く気づけば挨拶したんですが。。
    * なんのことか分からない方は無視してください。
 九段坂を上り展示会場へ。
今日は、買うつもりがなかったが、買ってしまいました。
これは、ようござんす。
銀窯定番のデューラー調ひまわりの五寸角皿であります。ユーモアの味付け具合がよろしいと思います。
最近の美術誌みたいな、わかりづらい美術をユーモアをまじえて解説します的ないやらしさとは次元が違うと思います。


 コレは展示会場の写真ではありません。帰ってから、しばらく絵画として鑑賞しようと思い、ベッチンを張った板に銅の金具を作りあつらえました。

 展覧会は5月7日(土)まで

10時半〜19時まで。会期中無休
花田2Fギャラリースペース
千代田区九段南2−2−5九段ビル
Tel.03−3262−0669

2011年4月21日木曜日

R.W.計画 その9 試写

 ヤン・ヴァン・アイクが自分の絵に "Als ich kan " と署名したそうです。「私の出来うる限り」とでもいいましょうか。いつか言ってやろうと思ってましたが、今回は、ハッキリそう言えます。逆に、これが今の私の限界です。
 まだ、改良の余地はあると思いますが、試写にこぎつけました。





  R.W.計画は、美術とか美術界とかのことは、まったく意識せずにできました。ザマーミロという感じです。(意味不明でしょ!)

 
 R.W.とは,ドイツ語で Riechwasser つまり香水です。 

2011年4月1日金曜日

R.W.計画 その8 一筋縄でいかなかった

 やっぱり、この人は一筋縄ではいきませんでした。
 図面の段階でも難しさを感じていました。写真資料がギターッと笑ったものが多いのも、その一因ですが。基本的に美人ちゃんだからでしょう。"いわゆる美人"というのは、あたし作りにくいんです。他の2人が美人でないというのではなく。
 逆に、そうでないヒトを美人だと思い込むほうが得な場合が多いのではないでしょうか。
 チョッと鼻の裾野が丈夫すぎました。もうチョッと繊細な感じです。少し削ってみました。
 コレで仕上がってくれるとよいのですが。。。




 この人はすんなりいったようです。。。とおもいます。

2011年3月23日水曜日

R.W.計画 その7 とりあえず1つ完成

 皆様、お元気のことと存じます。
我が家の新しい地デジTVの映し出す被災地の鮮明な映像には、気が滅入りました。そして、3号機が爆発したときは、すべてが終わったと一瞬おもいました。(この映像は超望遠で鮮明ではありませんでした。)
 "何もしない、何も買わない"ということが私にできる唯一のことか、とも思いましたが、そうもいかず、壊れた彫刻のかたづけ、その彫刻の下じきになって割れたR,W.の修理からはじめ、植毛を開始しました。そして今日、1つがとりあえず完成しましたのでご報告します。

 塗りの最終工程です。眉毛は以前、植毛していたんですが、その必要がないと分かり烏口で描いています。粘度が高い塗料ですので烏口を開け気味にしないと描けないので、乾いたあと削って細くします。それを繰り返して盛り上げていきます。下マツ毛も同様にします。上マツ毛はドンキホーテで買ってきた付けマツ毛を加工して植毛します。
 とてもトホホな状態なので、部分でご覧下さい。注射器にゴムのりを薄めて入れてます。プラスチックの注射器が溶剤でフニャフニャになりますが、3日ぐらいはもちます。
 「人像彫刻」をはじめた当初のものは針を使い1本づつ縫い付けていましたが、髪の毛の分け目の地肌がみえる部分だけ、そうすればいいことが分かり、いまでは市販のウィッグを部品にばらして、ゴムのりで貼ってます。


 ん〜〜どうでしょう?自分でもまだよく分かりません。前よりも厚めのレリーフなので、視点が多少広くとれるようです。

2011年2月26日土曜日

R.W.計画 その6 塗り

 彫りを終えて、塗りにはいります。ここまで1年以上かかってしまいました。こんなことやってられるのも、注文のないおかげです。世間からは彫刻家として数えられず。あせった時期もあったのですが、最近はそれもなくなりました。どっこい生きてます。
 あらためまして、塗りのはなしですが、わたしは人像彫刻に英国製のエナメル塗料をつかっています。HumbrolというメーカーでMatt, Satin, Gloss、と3種類の光沢があり、人像につかうのは主にMattの光沢のないツヤ消し塗料です。これは顔料がひじょうに細かくていいのですが、すぐに分離して固まってしまいます。使用前によく攪拌しなければなりません。そこで旋盤にとりつけて回すことを思いつきました。このブログのリンクにある銀窯さんの陶芸用の釉薬の攪拌機を見て真似しました。塗料のカンのなかにパチンコ玉が入ってます。
 この機械がまわってるあいだ、仕事してる気になれるのがイイとこです。
 最初の地固めして乾かしてます。
 研磨した粉で紙ヤスリや水ペーパーが滑ってしまうのでペーパーヤスリの裏に両面テープをはり指にはりつけて研いでます。材料の凸凹を指に感じることができます。凹の部分をおもに研ぎます。凸の部分は意識しないでも研げてしまうので放っておく感じです。バッチイ指の写真で申し訳ありません。
 10回塗りと、研ぎを繰り返しました。どうしても入隅に塗料が溜まってしまうので、刃物でほり起こしてます。
 下塗りが終わったところです。下塗りはツヤ消しの塗料だと耐久性に劣るので、光沢のものをつかいます。
 ところで、この人はモナ・リザだったんですね!コレでエエんじゃろか?
 仕上げはツヤ消しで、乾く間際まで染色用のハケで叩き、梨地状にします。
 こんな色を肌に使います。どんな色でも1色ベタにぬってはだめなようです。

2011年2月20日日曜日

R.W.計画 その5 彫り

 ミケランジェロの彫り方って、おかしいと思いませんか、荒彫りという段階がありません。石のかたまりから膝頭が出てきて、そこだけ仕上がったまま残ってるものがあります。ギルランダイオが師匠であるはずですが、はやくからメジチ家にあずけられてしまったらしいです。本人も水槽から水が出ていくように中から彫刻が出てくると言っているので、おかしいのは確かです。
 システィーナ礼拝堂で首を背中の方へまげ、天井の巨大な顔をフレスコの制約で短時間で描きあげ20メートル下から見てチャンと出来上がってる。という特技の持ち主です。普通とちがうのでしょう。
 ドナテロやギルランダイオの世代に興隆であった鋳造技術もミケランジェロやダ・ヴィンチの頃には廃れてしまって石を彫るしかなかったのです。
 若い頃は"自己流"でやっても、いきおいで仕上がったのですが、晩年のピエタなどは、それがせいで仕上がらなくなった、というのが私の正直な感想です。ミケランジェロは受注のものが出来上がらず。契約不履行で施主から逃げまわってます。一から十まで自分でやらなきゃ気が済まない、というのも仕上がらない理由の一つではありますが。
 
 彫りの作業ですが、ただひたすら彫るだけなのでこれといって書くことはありませんので、私の使ってる彫刻刀(トウ)を紹介します。

 右の6本は柳刃と言ってつかっているトウの大中小の左右6本です。おもに凹の部分を仕上げます。凹の部分は丸刀でさらっただけではだめで、コレで仕上げます。凹の部分は縦断する仕事ではなく、それを横断する仕事が必要です。よくヒトに、いつ仕上がったとわかるのか?ときかれますが、凹の部分の谷底が決まったときだ。と、答えときます。実際は仕上がったときなんか分かりません。
 この柳刃は、放物線状に研いでありますので、凹のどんなアールにも合います。
 私は、研ぎ水が柄にしみこんだり、柄の中で刃物が錆びてしまうのがいやなので、着脱可能にして、研ぐときは柄から抜いてといでいます。
 普通の柄の仕立て方を載せておきます。クリックして拡大すると、かろうじて読めるとおもいます。

 以下はR.W.計画の各部の写真です。
 背面です。軽量化のため内刳りしてます。内刳りの効用は、他に、
*・・材料を内側からも乾かし、割れをふせぐ。
*・・木の変形する力から、接ぎ合わせを守る。
があります。
 肩部です。服を着なければならないので、可動式になってます。
 手の部分は、まる彫りです。
 頭部の彫りが、ほとんど終わった状態です。コレでイイんだろうか。